「道」とは、西洋人にとってゴールへと向かう道程です。フランス各地からピレネー山地を越えてスペイン北西部ガリシア地方の町サンティアゴ・デ・コンポステーラに至る巡礼の道があります。キリスト12使徒のひとり聖ヤコブ(スペイン名サンティアゴ)の遺骸が祭られている教会があり、古くからローマ、エルサレムとともにカトリックの三大聖地とされています。巡礼者はサンティアゴ・デ・コンポステーラというゴールを目指し、ただ一心に道を急ぐといいます。
対して東洋人にとって、とりわけ日本人にとっての「道」とは、ゴールに至る過程(プロセス)そのものです。四国八十八箇所巡礼は、現代風に言えばスタンプラリーで、ゴールである八十八番医王山大窪寺(香川県さぬき市)にだけ行ったとしても意味がないのです。一番竺和山霊山寺(徳島県鳴門市)から始まる徳島県を発心の道場、二十四番室戸山最御崎寺(土佐東寺)(高知県室戸市)から続く高知県が修行の道場、四十番平城山観自在寺(愛媛県南宇和郡愛南町)からの愛媛県を菩提の道場、六十七番小松尾山大興寺(小松尾寺)(香川県三豊郡山本町)からの 香川県が涅槃の道場というように、日々精進しながらより高い境地へと心が磨かれていく。一直線にゴールに向かうというよりは、寺を日々お参りしながら、野の神仏に、自然の山や川や路傍の草花にさえ手を合わせながら歩き続けることで段々に煩悩を捨てて行き、人との出会いや食事の毎に感謝の気持ちを育てながら、悟りに仏に近づく過程を体感できることが価値のあることだとされています。 柔道、剣道、空手道などを勝てばいいだけの単なるゲームやスポーツにしなかったのも、茶道、華道、武士道など、生活文化や職業的な生き方の規範にさえ、目的とするゴールや理想はあるとしても、むしろ日々の精進こそ重要であると考えたのです。 ただ一心に神にすがって歩き通す道と、一歩一歩草木さえ愛でながら自己を省み歩く道、これが西洋の道と日本の道の違いではないか、どちらがいいとかいうことではなく、そういう二つの道があるということです。
by kangakuin
| 2004-12-01 00:46
| 称徳・雑記
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